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飯島利一

Author:飯島利一
授業づくりJAPAN(日本の誇りと歴史を伝える授業づくりの会)は独立国日本の再建を志す教師の会です。誇りある日本人を育てる授業を実践し、全国の同志と支え合います。国を思い先人に感謝し卑怯をにくむ日本人、日本人の自由と真実を守るために戦うことのできる日本人を育てます。

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〈授業展開3〉「建国記念の日」を忘れた日本人?

◎戦後の法改正 建国記念の日
その2では、GHQの占領下における祝日法の制定について学びました。とりわけ、国民の熱望した建国記念の日をGHQが認めなかったのは、占領方針が「民主化」といいながら日本の伝統・文化を断絶し、アメリカの脅威にならない日本人に改造するねらいがあったためだと、理解できました。

日本は、昭和27年4月28日に主権を回復し、6年8ヶ月に及ぶ占領から独立しました。これをうけて、建国記念日を設けようという紀元節復興運動が湧きおこります。

〈問題5〉建国記念日設置の法案は、日本が講和条約を結んでから、何年たってから成立したでしょうか。
(イ)3年後 
(ロ)5年後
(ハ)10年後 
(ニ)15年後


国民がずっとのぞんでいたのだから、すぐにでも成立したのではないかと思いますが、じつは正解は(ニ)、15年後です。昭和41年のことでした。この年の第51回通常国会で、体育の日と敬老の日といっしょに法案が通過し、ようやく成立したのです。

ここまで年月を必要としたのは、米ソ冷戦構造のなか、法案成立をめざす保守勢力と革新勢力が対立し、国会が混乱状態にあったからです。各政党の建国記念日の日取り案を見ると、法案は成立したものの、建国記念の日をいつにするかをめぐって、いろんな議論があったことがわかります。

 《資料》各政党の建国記念の日 日取り案
 ①自民党 2月11日説 神武天皇の即位伝承にちなむ
 ②民社党 4月 3日説 聖徳太子の十七条憲法の制定にちなむ
 ③社会党 5月 3日説 現行憲法の施行にちなむ
 ④公明党 4月28日説 講和条約発効にちなむ
 ⑤共産党 真の建国は人民が将来に闘いとるべきもの
                              (所功氏による区分)

①②が先祖伝来の歴史と伝統を尊重する立場、③④が戦後に新しい国家が誕生したと見る立場です。⑤はいまだ建国に至っていないと理解するのでしょうか。紀元節にあたる①の2月11日以外は、すべて新しい考え方を根拠にするものです。

最初に確認したように、祝祭日とは、その国らしさ(国柄)、歴史や文化を表すものであり、自分たちの国の来歴、公的な記憶(パブリックメモリー)を再確認する意味があります。①以外の案ではいずれも戦前の公的記憶は受け継がれなくなってしまいます。そして今、我われ日本人は国民の祝日をみんなで祝い、喜びを分かち合うことをしなくなってしまいました。

◎祝祭日を忘れた日本人 まとめ
最後に、今日学んだことをまとめしましょう。GHQの占領をきっかけに、私たちは祝祭日を大切に過ごすことの意味を忘れてしまった。それはつまり、先人が育んできた歴史・文化などの公的な記憶を、さらに言えば国民として心のよりどころとなる精神を失ってしまったことを意味します。

GHQの占領によって日本人は解放・自由を獲得した、というイメージが根強くあります。しかし実態としては、占領によって日本の歴史・文化・伝統が歪められたという視点でとらえることが大切です。次の《資料》ミラン・クンデラ『笑いと忘却の書』を読めば、説得力をもってGHQのねらいが理解できます。

《資料》ミラン・クンデラ『笑いと忘却の書』
一国の人々を抹殺するための最初の段階は、その記憶を失わせることである。
その国民の図書、その文化、その歴史を消し去った上で、誰かに新しい本を書かせ、新しい文化をつくらせて新しい歴史を発明させることだ。
そうすれば間もなく、その国民は、国の現状についてもその過去についても忘れはじめることになるであろう。 


われわれ日本人は、このままでよいのでしょうか。
皆さんは今日の授業で学んだことをふまえて、次の問題に答えて下さい。

〈問題6〉平成19年に新たな祝日が制定されましたが、何の日か、知っていますか。4月29日の祝日です。
(イ)みどりの日 
(ロ)平和の日
(ハ)昭和の日 


正解は(ハ)昭和の日ですね。祝祭日の意味を忘れたわれわれ現代人にとって、いわゆるゴールデンウィークの1日にすぎないこの日を、何の祝日か知らなかった人も多いのではないしょうか。昭和天皇の誕生日だった4月29日が、みどりの日から昭和の日に変わったのです。昭和の日には次のような思いが込められています。

【ポイント6】 
昭和の日=激動の日々を経て復興を遂げた昭和の日々を顧み、国の将来に思いをいたす日


せめてこの日は、例えば今日の授業で学んだように、何かテーマを見つけて激動の昭和という時代をじっくりと振り返ってはどうでしょうか。


☆おもな参考文献
①薗田稔・所功・加瀬英明ほか『日本の祝祭日を考える』てんでんブックレット3展転社(H6)②高橋史朗『検証戦後教育』広池出版(H7)
③高橋史朗『歴史の喪失』総合法令(H8)
④『近現代史の授業改革5「日本の占領」これだけは教えよう』明治図書 (H8)
⑤井尻千男「主権回復を創設する秋」『発言者37』(H9)
⑥坂本多加雄『歴史教育を考える』PHP新書(H10)
⑦産経新聞取材班『祝祭日の研究「祝い」を忘れた日本人へ』角川one テーマ21(H13)
⑧所功『「国民の祝日」の由来がわかる小事典』PHP新書(H15)
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高等学校 歴史と文化の授業

〈授業展開2〉祝日法の制定とGHQの占領政策

◎祝日が定められたのはいつ?
 その1では、祝祭日が、文化的かつ歴史的な意味をもち、世界中の国でとても大切にされていることを確認しました。
 それでは、日本の場合はどうでしょうか。例えば建国記念日を、国民全体でお祝いするという雰囲気はありません。また、日本の祝日は日本らしさに乏しく、無国籍的だとも言われます(せいぜい天皇誕生日くらい)。さらに、日本では制度上、祝日のみで、伝統的な信仰に基づく祭日がないのです。どうしてこのような状態に陥ったのでしょうか。我が国の祝日の成立について考えていきましょう。まず、次の問題に挑戦してください。

〈問題2〉現在の祝日は、これまでに何度か変更してきましたが、基本的な制度は、いつできたのでしょうか。次の中からイメージでこれと思うものを答えてください。
(イ)平安時代 
(ロ)江戸時代
(ハ)明治時代 
(ニ)昭和時代


 正解は(ニ)です。我が国の祝日は、長い歴史とともに時間をかけて、制度化されてきたとイメージする人もいるかもしれません。たしかに祝日の起源をたどれば、その出発点は見方によって弥生時代ころにまで遡ることができるでしょう。
 しかし、現代における祝日の枠組みは、昭和の時代に入ってから。とくに重要なことは、日本が戦争に敗れ、GHQ(連合国軍総司令部)によって占領されたときに定められたことです。

【ポイント2】
昭和23年 祝日法の制定
GHQの占領期→「民主化・非軍事化」による日本社会の改造…神道指令


 現在の祝日は、祝日法という法律によって制定されました。いまだGHQの占領期である昭和23年ことです。

占領期にGHQは、「民主化と非軍事化」を実現しようと、さまざまな政策を実施しましたが、それらは、日本がアメリカにとって二度と脅威にならないように、日本の社会を改造し、日本独自の文化的・社会的な価値観・思想など、日本人そのものをつくりえてしまおうというものでした。

 その諸政策の一つに神道指令があります。この指令は、日本の伝統的な神道や皇室に関わるものを国家から排除しようとするものでした。祝日法の制定は、この神道指令に基づいて定められたのです。

◎祝日法の成立事情
それでは、GHQの占領下で、具体的に祝日がどのように定められたのかを考えてみましょう。

まずは、昭和22年12月のことです。GHQ民政局の宗教課長バンスが、従来の祝祭日を全面的に見直しさせ、とくに神道・皇室祭祀に関する祭日は廃止させ、祝日のみに一本化するよう日本政府(片山内閣)に指示しました。

これを受けて、政府が、政令によってあらたな祝日を制定しようと検討をはじめました。しかし、国会で一部の識者が、政府の政令によって決めることに反発しました。国民を尊重する意味で、国会が決めるべきだと主張したのです。

国会はGHQの了承をえて、まず、祝日に関する世論調査を実施しました。国民がどのような祝日を望んでいるか、世論調査によって明らかにしようとしました。世論調査の実施の結果、国民が選んだ祝日は、どのようなものだったのでしょうか。

〈問題3〉世論調査の結果、次の中で国民が最ものぞんだ祝日はどれだったでしょう。
 (イ)終戦記念日
 (ロ)平和の日
 (ハ)こどもの日  
 (ニ)建国記念の日


意外に思う人も多いと思いますが、じつは建国記念の日。世論調査で81.3%の国民がこの日を選んだのです。したがって(ニ)が正解です。

建国記念の日は、戦前には紀元節といわれ、『日本書紀』によれば初代の神武天皇が即位した日で、日本が建国された日にあたるのです。紀元節には、多くの国民が建国を祝って過ごしたと言われています。

【ポイント3】
 建国記念日 世論調査81.3%
 紀元節=『日本書紀』神武天皇の即位の日 …国民に親しまれていた記念日


世論調査を受けて、国会では国民のが慣れ親しんだ、戦前からの祝祭日をなるべく多く残そうと努力がはらわれました。たとえば、明治節(11月3日・明治天皇の誕生日)が文化祭(衆議院)・憲法記念日(参議院)。新嘗祭(11月23日)が新穀祭(衆議院)・成人若人の日(参議院)などです。

本来なら国権の最高機関である国会で決まれば制定されるはずです。しかし当時はGHQの占領下なのです。国会で定めても、GHQがどのように判断するかが問題です。

〈問題4〉国会の案に対して、GHQはどのような反応をしたのでしょうか。
 (イ)祝日の制定は日本の国内問題であり、GHQとしては関知しない。
 (ロ)GHQの方針は民主化にあるので、国民がのぞむ記念日であれば承認する。
 (ハ)GHQの占領方針と合わない記念日があるから、了承できない。


 正解は(ハ)です。しかも占領方針と合わないとされたのは、国民が最も望んだ建国記念日でした。GHQの占領の目的が、本当に日本の民主化であれば、(イ)(ロ)のような判断が妥当です。当時の戦時国際法(ハーグ陸戦法規第四三条)でも、占領下の国のあり方を変えることは禁じられていました。しかし、GHQは、国民がもっとも熱望した建国記念日を認めませんでした。さらに、この法案文の一部「正しい伝統を守りつつ」という表現を削除するように要求。結局「美しい風習を育てつつ」と改めました。まさに日本の伝統が否定されたのです。

【ポイント4】GHQの対応
①建国記念の日を認めず
②法案文一部削除を要求 「正しい伝統を守り」→「美しい風習を育て」


この事例を考えれば、GHQ占領の本当のねらいは明らかです。表向きには、日本の民主化といいながら、日本国民の意志よりも自分たちの思惑を優先させていたのです。彼らは、日本が二度と脅威にならないために、我々日本人を精神面から作りかえようと考えていました。これを精神的武装解除工作と言います。占領の真のねらいは、日本人がこれまで大切にしてきた歴史や文化、伝統を断ち切らせることだった。結局、占領とは形を変えた戦争の継続なのです。

【ポイント5】GHQ占領の真のねらい
精神的武装解除…日本の文化・伝統を断絶


結局、占領下の特殊事情でやむなしと、国会は法案を成立させ、国民の祝日が制定されました。GHQの占領のもと定められた9つの祝日を確認しましょう。
 1月1日   元日
 1月15日  成人の日
 3月春分日  春分の日
 4月29日  天皇誕生日
 5月3日   憲法記念日
 5月5日  こどもの日
 9月秋分日  秋分の日
 11月3日  文化の日
 11月23日 勤労感謝の日

高等学校 歴史と文化の授業
 
☆はじめに
 戦後の日本は、祝祭日が単なる休日化・世俗化している現状にあり、その由来・意味が忘れ去られているのではないか。そこで今回の授業では、まず祝祭日の本来の意味を考え、つぎに占領期の祝日法の制定をとりあげて、GHQの占領には日本の伝統・歴史・文化の断絶が意図されていたことを確認する。祝祭日の大切さを見直すことで、国民意識の形成につなげたい。
 
〈授業展開1〉祝日と祭日はどう違う?
 ふだん私たちが意識しないところに、意外な歴史が隠れていることがあります。今日は、「祝祭日を忘れてしまった戦後の日本人」をテーマに考えていきましょう。
 
 まず、皆さんは祝日をどんな風に過ごしていますか。およそ、その日が何の日かほとんど意識せず、単なる休日と思っていませんか。また、祝日は現在15日間ありますが、全部あげることができますか。2月11日は何の日でしょう?あるいは文化の日は何月何日でしょうか?次の資料見てください。
 
資料》日本の祝日(平成18年)
 
祝日
意味
1/1
元日
お正月。年のはじめを祝う日。
1月第2月曜
成人の日
大人になったことを自覚し自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます日。
2/11
建国記念の日
紀元節。建国をしのび、国を愛する心を養う日。
3/21
春分の日
自然をたたえ、生物をいつくしむ日。
4/29
みどりの日
自然に親しむとともにその恩恵に感謝し豊かな心をはぐくむ日。
5/3
憲法記念日
日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日。
5/4
国民の祝日
 
5/5
こどもの日
こどもの人格を重んじこどもの幸福をはかるとともに母に感謝する日。
7月第3月曜
海の日
海の恩恵に感謝し、海洋国家日本の繁栄を祝う日。
9月第3月曜
敬老の日
多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し長寿を祝う日。
9/23
秋分の日
祖先をうやまい、亡くなった人をしのぶ日。
10月第2月曜
体育の日
スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう日。
11/3
文化の日
明治節。自由と平和を愛し、文化をすすめる日。
11/23
勤労感謝の日
新嘗祭。勤労を尊び生産を祝い国民がたがいに感謝し合う日。
12/23
天皇誕生日
天皇のお誕生日を祝う日。
 
2月11日は建国記念の日。文化の日は11月3日でした。こうしてまとめてみると、意外と憶えているようで月日が曖昧であったり、すっかり忘れてしまっている日もあるのではないでしょうか。祝祭日について、基本的なことから確認しましょう。
 
〈問題1〉祝日と祭日の違いは何でしょうか。説明してください。
 
 いざ説明しようとしても、なかなか難しいように感じませんか。そこで、考える手がかりとして諸外国の例を見てみましょう。
 
《資料》おもな世界の祝祭日(2006年)
アメリカ(ニューヨーク)      フランス(パリ・リヨン)       中国(北京・上海)
1/1
新年
1/1
新年
1/1
新年
1/19
キング牧師誕生日★
4/11
イースター
1/22
春節
2/12
リンカーン誕生日★
4/12
イースターマンデー
 〜28
2/16
大統領の日★
5/1
メーデー
5/1
労働節
4/9
聖金曜日
5/8
第2次大戦戦勝記念日★
  〜7
5/31
戦没者追悼記念日★
5/20
キリスト昇天祭
10/1
国慶節★
7/4
独立記念日★
5/30
聖霊降臨祭
   〜7
9/6
レイバーデイ(労働の日)
5/31
聖霊降臨祭の月曜日
 
 
10/11
コロンブス記念日★
7/14
革命記念日★
 
※慣例的に1週間
11/11
退役軍人の日★
8/15
聖母昇天祭
 
 
11/25
感謝祭
11/1
万聖節
 
 
11/26
感謝祭翌日
11/11
第一次大戦休戦記念日★
 
 
12/25
クリスマス
12/25
クリスマス
 
 
 
韓国(ソウル)         タイ(バンコク)           トルコ(イスタンブール)
1/1
新年
1/1
正月
1/1
新年
1/21
旧暦正月(23まで)
2/22
中国正月
1/31
犠牲祭前夜
3/1
3.1 独立運動記念日★
3/5
万仏節
2/1
犠牲祭 4日まで
4/5
植林の日
4/6
チャクリ王朝記念日★
4/23
独立記念日★・子供の日
5/1
勤労者の日
4/13
ソンクラン節(15まで)
5/19
アタチュルク記念日★
青年とスポーツの日
5/5
子供の日
5/2
メーデー
5/26
釈迦誕生日
5/5
国王即位記念日★
8/30
勝利の日★
6/6
顕忠節(戦没者慰霊祭)★
6/2
仏誕祭
10/29
共和国記念日★
7/17
制憲節(憲法記念日)★
8/1
入安節
11/13
断食明け大祭前夜
8/15
光復節(解放記念日)★
8/12
王妃誕生日★
11/14
断食明け大祭16
9/27
お盆(29まで)
10/25
チュラロンコン大王祭★
12/31
年末休日
10/3
開天節(建国記念日)★
12/5
国王誕生日★
 
 
12/25
クリスマス
12/10
憲法記念日★
 
 
 
 
12/31
年末休日
 
 
 
 国によって祝祭日はさまざまであることがわかります。★印のついているものが国家的な記念日にあたるもの。その一方で、国によってキリスト教だったり、仏教だったり、イスラムだったり宗教的なものがある。そこで次のように考えました。
 
【ポイント】 
祝日=国家にちなむ記念・お祝いする日
祭日=宗教的行事に由来するお祭りの日
         ↓
その国らしさ(国柄)歴史や文化を表すもの自分たちの国の来歴を再確認する意味
 
 祝祭日はいずれも、その国の国柄、精神、歴史や文化や風俗習慣などを表すもの。祝祭日を見ればその国がどんな背景をもつ国か、およそ推測することができますよね。
 とくに祝日は自国民にとって自分たちの歴史・文化を再確認する意味があると言われています。この国の今日があるのは、その歴史的事件があったからという、国民みんなで共有する公的記憶(パブリックメモリー)の確認を、毎年その日に行うのです。祝祭日は文化的かつ歴史的な意味をもつため、世界中の国々でとても大切にされているのです。

高等学校 歴史と文化の授業

☆はじめに
 教科書の語る縄文時代は、縄文土器をはじめとする遺物、貝塚などの遺跡など考古学的なアプローチのみで語られているために、どうしても人類史的な、一般化されたイメージでしか浮かんでこない。縄文時代が、わたしたち日本人の祖先を語っているという視点が欠けているためではないだろうか。
 縄文時代から日本人は、日本の豊かな自然と共に生きる術を学び、草原や遊牧の社会・砂漠の文明にはない、日本人独自の営みを育んできた。そして、そのなかで醸成された日本人の自然観や自然への信仰は神道の源流となり、現代の社会に受け継がれている。
 そこで、この授業では、「縄文人がいかに自然と向き合い大切にしてきたか」に視点をあてて、その思想・価値観が現代の私たちにも受け継がれていることを学ぶ。縄文人が現代のわたしたちと関わっていることを自覚することで、日本人の意識形成につなげていく試みである。

☆授業の展開
1.「となりのトトロ」はどんな生き物?
宮崎駿監督のスタジオジブリの映画「となりのトトロ」を見たことありますか。主人公のサツキとメイが、都会から田舎の古い家に引っ越してきて、森の中でクスの木の根元に棲む不思議な生き物トトロと出会う物語です。

ほんとうにたくさんの人がこの映画を見ているようですね。ジブリはすごい人気です。この映画は子ども向けのアニメ映画と言えないほど、大人が見ても面白い。家族みんなで楽しめる映画です。わたしは、美しいアニメーションで古き良き日本の原風景が映し出されると、ほんとうの映像を見ているより癒される感じがしてきます。

ところで、実はこの映画、縄文時代と密接に関わっていると言われているのを知っていますか。たとえば、サツキのお父さんは縄文時代を研究する考古学者です。そしてお父さんは、妹のメイから森でトトロと出会ったという不思議な話を聞くと、トトロが棲むそのクスノキを訪れて「昔、人と木は仲良しだった。木と話をしていたのだ」と、娘たちに語りました。その「昔」とは縄文時代を指しているのです。

それでは、トトロと縄文時代とはどのような関係があるのでしょうか。まず、トトロのキャラクターをイメージしながら、次の問題を考えてみてください。

[問題] トトロはどんな生き物でしょうか。
  (イ)森にくらす熊のおばけ 
  (ロ)クスの木に棲む神さま
  (ハ)まだ発見されていない珍しい新種の動物 
  (ニ)森の動物たちを支配する妖怪


正解はまだ伏せておきます。今日は縄文時代の人々のくらしについて学んでいきます。そのなかで、この答えは明らかになってくるでしょう。

2.三内丸山遺跡から分かること
縄文時代はいつからどのようにはじまり、この列島に生活をしていた人はどのように暮らしていたのでしょうか。

今からおよそ一万二千年前、地球の環境は氷河時代と言われる更新世から、温暖な完新世へと変化します。大陸と陸続きであった日本列島は、切り離されて現在に近い状態になり、みずみずしく緑が生い茂り、シカやイノシシなどの動物が生息する温暖な自然環境が生まれました。このような環境で縄文人たちの生活ははじまります。

そのくらしを知る手がかりの一つが、三内丸山遺跡です。三内丸山遺跡は、青森県青森市にある縄文時代の集落遺跡。一九九二年、県営の野球場建設のため、この辺りを調査したところ大規模な集落が見つかりました。縄文時代前期から中期のものと推定されたこの遺跡は、広場を囲むように住居が造られた環状集落で、竪穴住居や高床倉庫のほか、大型の竪穴住居が10棟以上、さらに祭祀に関わると見られる大型掘立柱建物が存在したと想定されるなど、これまでの縄文時代のイメージを大きく覆すものでした。

三内丸山をはじめとする最近の縄文遺跡の発掘からは、より具体的なこの時代の先人の生活の様子が明らかになっています。教科書の内容をまとめておきましょう。
(1)縄文時代の人々は、食料としてくり・くりみ・ドングリなどの木の実やヤマイモなどを採取するばかりでなくクリ林の管理マメやエゴマなどの栽培も行っていたらしい。
(2)狩猟では弓矢が使用され落とし穴を利用して、イノシシやニホンシカなどを獲っていた。入江の多い日本列島では漁労が発達した。釣り針や銛などの骨角器や、石錘・土錘が発見されることから網を利用した漁法も盛んであった。
(3)丸木舟も各地で発見されており、伊豆大島・八丈島まで縄文文化が広がっていることから外洋航海術をもっていたことがわかる。
(4)縄文人はおもに日当たりが良く水辺に近い台地状に集落をつくり、定住的な生活をしていた。集落には、中央の広場を囲むように竪穴住居が環状に営まれ、貯蔵穴や墓地などがあった。  
(5)縄文時代の人々の集団は、近隣の集団とさまざま情報を交換しあった。黒曜石などの石器材料やひすいなどの分布から、遠方集団との交易も推測されている。
 縄文時代の人たちは、豊かな大自然に順応したくらしを発達させながら、逞しくそして穏やかに暮らしていた様子が浮かび上がってきませんか。

そこで、次の問題です。

[問題]次の写真は何でしょうか。
縄文ポシェット

植物をつかって袋状に編まれていることがわかります。いわゆる「縄文ポシェット」と言われるものです。このようなバックは今でも似たようなものがありますよね。

[問題]実はこのポシェットが発見されたとき、袋の中にはある物が入っていました。そのある物とは何だったでしょう。

正解はクルミです。縄文人たちは森の中に分け入って、クルミやドングリなど採取していたことがわかっています。三内丸山の縄文人が、木の実を拾い集めてムラに帰り、もしかしたら食事の支度でもするときに、ひとつだけ出し忘れてしまったクルミかもしれません。やがて、土に埋もれそのまま数千年の時を経て発見されたのです。このように想像を膨らませると、遥か太古の私たちのご先祖さまの営みが身近に感じられてきませんか。

3.縄文土器は世界最古
縄文時代は、その名の通り縄文土器がつかわれていた時代です。土器は世界各地の文明でつくられたもので、いわゆる世界の四大文明の遺跡からも数多く出土しています。そこで問題です。

[問題]世界で最も古い土器をつくったのは次のうちどこでしょうか。
 (イ)メソポタミア (ロ)エジプト (ハ)中国(殷) (ニ)日本列島


意外と知られていない事実ですが、世界で最初に土器を発明したのは縄文時代のわたしたちのご先祖さまなのです。したがって正解は(ニ)。世界最古の縄文土器は、青森県の大平山元I遺跡から出土した物で、最新の年代測定法による分析の結果、なんと1万6500年前の物である事がわかっています。ただし、これは現時点での発掘成果の結果であって、日本よりも古い土器が発見される可能性はあります。

それでも、1万6500年前と言うことはダントツで世界最古にあたっており、世界最古の文明メソポタミアでさえ土器の歴史は1万年前ぐらいにしか遡る事は出来ないのが現状なのです。これは特筆すべき日本の原始文化と言えるでしょう。私たちの先人は、世界の文明に先駆けて、豊かな大自然に順応し、その恵みによって暮らしていたと考えられているのです。

ちなみに、表面に縄目の文様をつけたことはよく知られていますが、縄目文様のみならず、縄文土器は時代によってさまざまなデザインがあり、実に多様で豊かな造型をもっていたことが注目されています。

4.豊かな自然と縄文人の信仰
縄文時代の先人たちは、豊かな自然にいち早く順応したくらしを発達させてきたことがわかりました。そこで縄文の人々の自然観についての問題です。

[問題]縄文時代のご先祖さまは、豊かな恵みをもたらし、また地震や台風などの天災をひきおこす自然をどのようにとらえたでしょうか。
(イ)自然は人のくらしを便利にするもので、利用できると考えた。
(ロ)自然を畏れ敬い、その中に神が宿ると考えた。
(ハ)自然に左右されないように、人が自立できる文化をつくろうとした。


正解は(ロ)。どうして自然に神が宿るのでしょうか。

日本の風土には生命の源となる光や水と土と緑が国土にあふれ、このため海も山も平野も生気が漲っています。そして自然には、春夏秋冬の四季があり、季節がめぐって、その姿はくり返し再生されています。その豊かな自然の恵みによって、日本列島に生活する人たちのくらしは支えられたのです。

また一方で日本では、地震・雷・台風など自然災害にたびたび見舞われます。天災の国でもあるのです。そのため縄文人たちは、豊穣な自然の恵みによって生かされていることを感謝すると同時に、自然の厳しさ・恐ろしさも感じざるをえませんでした。このことを悟ったわたしたちの先人は、自然を畏れ敬い、自然の中に霊性を感じ、そこに神が宿ると考えたのです。

一つ例を紹介しましょう。小学生の子どもの頃、真夏の夕暮れ時に、それまですごく晴れて入道雲が出ていたのに、急に空が灰色の雲覆われたかと思うと、ゴロゴロと雷が鳴りって豪雨におそわれた、という経験がありませんか。夏によくある夕立ですね。そのとき、お母さんから何か言われたことありませんか。「雷さまにおヘソを取られるから、おヘソを隠しなさい」と。心あたりのある人が多いのではないでしょうか。その時、お母さんが言った「雷さま」って、いったい誰なのでしょう。「雷さま」は、仏教の教えにも、儒教にも、キリスト教の神様にも存在しません。これは「雷」という自然現象に霊威を感じ、そこに神が宿っていると考えたものなのです。もしかしたら縄文時代以来、現代にいたるまで、日本国のお母さんたちは、ずっと子どもを諭す言葉として「雷さまにおヘソをとられる」を使いつづけてきたのかもしれませんよ。

このように、わたしたちの先人は自然を大切に、自然と共に生きる精神文化・心の文化を創りあげてきたのだと言えるでしょう。いわゆる砂漠や草原に住む民族や、常に寒冷・熱帯の気候に暮らす人々、自然に四季のうつろいが見えにくい地域とは異なった、日本独自の自然観・世界観を育んだと考えらます。

ちなみに西欧文明の自然観は(イ)(ハ)のような立場であるという指摘があります。西欧では森のあるところに文明が興りますが、自然のあり方を未開・野蛮とみなし、開発の対象と位置づけている。キリスト教会などの美しい西欧建築は、自然を取り払った広場の中に、自然を征服した姿で建築されているものが数多くあります。

5.まとめー日本人と自然との関わり
縄文時代は一万年間。その悠久の時間の中で育んだ日本の先人たちの自然観は、現代の私たちの心のうちに受け継がれているのかも知れません。

[問題]次の資料を読んで、感じたこと・考えたことを書いて下さい。

 日本人は自然に順応して暮らし、森羅万象に神を見る八百万の神々をもち、神々と共生してくらす国柄を生んだ。そして自然をあるがままに受け止め、畏敬し感謝し自然にとけ込もうという考え方である。これはその後、神道の基本となり、日本人と日本の歴史に大きな影響を与えた。日本の神はかならず鎮守の森に鎮座しているのである。
 また、日本の豊かな自然は、外国にはない日本人の豊かな情緒性を生んだ。春にさくらが、秋に紅葉が舞う儚さに、わたしたちは心が動かされ、「もののあはれ」を感じる。このような自然に対する感受性が豊かなのは日本人の誇るべき美徳と言えるだろう。さらに、環境問題へのとりくみ、エコロジー・省エネをはじめとする自然保護や環境への配慮は、私たち日本が先進国と言われている。これら自然に対する日本人の独特の想いこそ、縄文時代のくらしが今に残っている証と言えるのではないだろうか。


授業の最後に冒頭でのトトロについて答えましょう。もうお分かりですね。正解は、(ロ)「クスの木に棲む神さま」です。かわいいトトロのキャラクターはジブリによって創造されたものですが、宮崎監督がトトロに込めた思いは、自然・森に宿る神さまなのです。この映画のキャッチコピー「このヘンな生き物は、まだ日本にいるのです。たぶん。」には、「日本人の自然との共生」への願いが表現されているように感じます。

高等学校 歴史と文化の授業


☆はじめに
⒈日本人はさくらをどのように愛でてきたのか。生徒がよく知っている、さくらのヒット曲を手がかりに、和歌などの史料からさくらに対する日本人の心情を探るのが、この授業のねらいである。

⒉「さくらの散りゆくさま」が、もののあはれをはじめ、日本人の鋭い感性をあらわしてきたことを学び、さくらは日本人の心であり、日本を象徴する花であることを学習する。

さくら


☆授業の展開 (以下の○は生徒の発言である)
1.授業のテーマは何でしょうか?
今日は新学期にふさわしい授業です。

まず問題です。今日のテーマを当ててみてください。次の〔  〕のなかに入る言葉は何でしょう。

「世のなかに絶えて〔  〕のなかりせば
    春の心はのどけからまし」   『古今集』五三

これは『伊勢物語』の主人公として有名な在原業平の歌です。世の中に、これがなかったら、春はさぞかしのどかに過ごすことができだろうに、ということです。何がなかったら、春はのどかなのでしょうか。


○・・・?分からない。

それではヒントをだしましょう。次キーワードから連想される言葉が[ ]の答えです。
(次の語句を一つずつ生徒に提示する。①遠山の金さん ②上野公園・靖国神社 ③森山直太朗・ケツメイシの歌 ④入学式・新入生など。)

○あっ、わかった。さくらだ。

そう、正解。みなさんは、さくらからどのような連想をしますか。今日は、わたしたち日本人が、どのような想いでさくらを見てきたのか、そしてさくらは日本人にとってどのような存在なのか、みなさんといっしょに探っていこうと思います。


2.現代若者のさくらのイメージ
まず、現代の私たちの場合。最近見られる「さくら」に関するヒット曲から考えてみましょう。最近のJポップで「桜・さくら」のつくものにどんなものがあるでしょうか。

○コブクロのさくら

○さくら(森山直太朗)
○サクラドロップス(宇多田ヒカル)
○サクラ咲ケ(嵐)
○桜坂(福山雅治)

こうしてあげていくと、意外に「さくら」の曲はいっぱいありますね。しかも誰もが知っている大ヒット曲です。実はこれらの曲の歌詞を読んでみて、面白いことに気づいたのです。

【問題1】 次のヒット曲(抜粋)は、さくらのどのような様子を歌っているでしょうか。共通して言えることは何でしょうか。
1.さくら(森山直太朗)

  「さくら さくら 今咲き誇る 刹那に散りゆく運命と知って」
  「さくら さくら ただ舞い落ちる いつか生まれ変わる瞬間を信じ」
2.さくら(ケツメイシ)

  「さくら舞い散る中に忘れた記憶と 君の声が戻ってくる」
  「花びら舞い散る 記憶舞い戻る」
3.桜(コブクロ)
  「桜の花びら散るたびに届かぬ思いがまた一つ」
4.SAKURA(いきものがかり)
  「さくら ひらひら舞い降りて落ちて 揺れる想いのたけを抱きしめた」
  「君と春に願いし あの夢は今も見えているよ さくら舞い散る」

○さくらが舞っている? 散っている?

そう、そのとおり。詩の内容から共通していえることは、いずれも、さくらが散りゆく情景を描写していることです。友人や恋人との出会いや別れ、せつなく美しい思い出など、想いはいろいろだけれど、すべてさくらの散る様子に託してうたっているのです。咲きはじめや満開ではなく、何故さくらの散りゆくさまに、その心情をこめるのでしょうか。


3.「さくらの散りゆくさま」を日本人はどのように見たのか
わたしたち日本人が散りゆくさくらに魅了され、想いを込めるのは、歴史をさかのぼって確かめることができます。そこで私たちにとって「さくらの散りゆくさま」は何を表現しているのか、和歌などから分析してみましょう。

【問題2】 つぎの和歌の〔  〕に入る言葉は何でしょうか。さくらが咲いては散っていく様子にもっともふさわしい言葉はこれ以外にないと言っています。(あ)〜(え)のどれが適切だと思いますか。
    〔  〕をほかにもいはじ桜花
     咲きては散りぬあはれ世の中  (藤原実定『新古今集』)
    (あ)かなしさ (い)せつなさ (う)はかなさ (え)うれしさ


○「せつなさ」か、「はかなさ」だと思う。

○「うれしさ」はないと思う。

なかなかいいですね。日本的な感性だと思いますよ。正解は(う)です。これは、貴族から武士の世にかわり、時代の移ろいを嘆く、大徳寺左大臣藤原実定の歌です。
満開のさくらが散っていくさまは、諸行無常・盛者必衰などの仏教的な無常観を表現しているといわれます。この無常観は、やがて、「もののあはれ」という日本人的な、独特の情緒につながっていきます。「もののあはれ」とは、人間のはかなさや悠久の自然の中で、移ろいゆくものを美しいと感じる感性を言います。散りゆくさくらが美しいと思うのは、まさにこれにあたるといえるでしょう。

「もののあはれ」から、さくらを最も愛した歴史人物、さくらを詠んだ歌人といえば西行法師の名があがるでしょう。西行は『山家集』のなかで、さくらの和歌を140首も詠んでいます。

【問題3】 西行は『山家集』に載るある和歌で、「願わくば」と詠んで、さくらの花の下で「あること」を叶えたいと思っていました。その「あること」とは何でしょうか。
     (あ)酒がのみたい (い)踊りたい (う)死にたい (え)眠りたい


○(あ)だったら、お花見になる。

○(う)かな。たしか桜の下に死体が埋まっているというのを、何かで聞いたことがある 。

よく知ってますね。そういう小説もあります。この和歌は、西行がとてもさくらに憧れていたことを物語るものとしてよく知られています。正解は(う)。
「ねがはくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」。実際に、この歌の通り、西行はさくらの季節満月のもとで生涯を閉じたということです。西行はさくらとの一体化を望むほど、その美しさ・はかなさ「もののあはれ」にのめり込んでいたのではないでしょうか。

散りゆくさくらを美しいと思う気持ち、いわゆる「もののあはれ」という情緒は、日本人がとりわけ鋭いと指摘するのが、藤原正彦氏です。 近年話題のベストセラー『国家の品格』のなかで、「情緒と形の国、日本」と題して、すぐれた日本人の感性について述べています。資料を一読してください 。

【資料1】
悠久の自然と儚い人生との対比の中に美を発見する感性、このような「もののあはれ」の感性は、日本人がとりわけ鋭い。(中略)
この一例が桜の花に対するものです。桜の花はご存知のように本当に綺麗なのはたったの三、四日です。しかも、その時をじっと狙っていたかのように、毎年風や嵐が吹きまくる。それで「アアア」と思っているうちに散ってしまう。日本人はたった三、四日の美しさのために、あの木偶の棒のような木を日本中に植えているのです。
桜の木なんて、毛虫はつきやすいし、むやみに太いうえにねじれていて、肌はがさがさしているし、花でも咲かなければ引っこ抜きたくなる木です。しかし、日本人は桜の花が咲くこの三、四日に無常の価値を置く。たった三、四日に命をかけて潔く散っていく桜に、人生を投影し、そこに他の花とは別格の美しさを見出している。だからこそ桜をことのほか大事にし、「花は桜木、人は武士」とまで持ち上げ、ついには国花にまでしたのです。(中略)
アメリカ・ワシントンのポトマック川沿いにも、荒川堤から持って行った美しい桜が咲きます。日本の桜より美しいかもしれない。しかしアメリカ人にとってそれは、「オーワンダフル」「オービューティフル」と眺める対象に過ぎない。そこに儚い人生を投影しつつ、美しさに長嘆息するようなヒマ人はいません。


日本人のさくらに対する気持ちが、面白く理解することができます(傍線部を中心に説明する)。朽ちゆくもの・枯れゆくもの・滅びゆくものに、美しさを感じる心は、欧米人には、およそ理解できないのかもしれませんね 。


4.さくらのイメージ 日本人の心
藤原正彦氏が説くように、私たちの先人は、さくらを「国花」と考えるようになりました。さくらは、日本を象徴する花と位置づけられるようになったのです。

【問題4】 次の歌は国学者本居宣長の詠んだもの。〔   〕に入る言葉を考えましょう。宣長は何をたとえて「朝日ににほふ山桜花」と言ったのでしょうか。
   敷島の 〔   〕を 人とはば
 朝日ににほふ 山桜花


○朝日だから、日出ずる国のようなことかな?
○日本のこころのような言葉じゃない?
○大和魂みないな。

答えは、ずばり「大和心」です。日本人の心を指して、大和心(やまとごころ)と表現しています。その心は、清々しい「朝日ににほふ山桜花」であると詠んでいるわけです。


本居宣長の思想は、幕末・明治維新前後から、日本人のナショナリズムに大きな影響を与え、宣長のこの歌によって「桜=国花」というイメージが定着するようになったといいます。
明治時代になると、桜のなかでも、ソメイヨシノ(染井吉野、江戸末期の新種)が人気を呼び、城跡や公園・堤防や学校に盛んに植栽され、さくらのイメージが日本人の間に普及していきました。

それでは、本居宣長が、さくらに喩えた「大和心」(日本人の心)とは、何を表しているのでしょうか。 次の資料にあげた新渡戸稲造の『武士道』(奈良本辰也訳)を読んでいきましょう。

【資料2】
たしかに、サクラは私たち日本人が古来から最も愛した花である。そしてわが国民性の象徴であった。宣長が用いた「朝日ににほふ山ざくらばな」という下の句に特に注目されたい。
大和魂とは、ひ弱な人工栽培の植物ではない。自然に生じた、という意味では野生のものである。それは日本の風土に固有のものである。その性質のあるものは偶然、他の国土の花と同じような性質を有しているかもしれない。だが、本質において、これは日本の風土固有に発生した自然の所産である。
また私たち日本人のサクラを好む心情は、それがわが国固有の産物である、という理由によるものでない。サクラの花の美しさには気品があること、そしてまた、優雅であることが、他のどの花よりも「私たち日本人」の美的感覚に訴えるのである。私たちはヨーロッパ人と、バラの花を愛でる心情をわかちあうことはできない。バラには桜花のもつ純真さが欠けている。それのみならず、バラはその甘美さの陰にとげを隠している。バラの花いつとなく散り果てるよりも、枝についたまま朽ち果てることを好むかのようである。その生への執着は死を厭い、恐れているようでもある。しかもこの花にはあでやかな色合いや、濃厚な香りがある。これらはすべて日本のサクラにはない特性である。
私たち日本の花、サクラは、その美しい粧いの下にとげや毒を隠しもってはいない。自然のおもむくままに、いつでもその生命を棄てる用意がある。その色合いは決して華美とはいいがたく、その淡い香りには飽きることがない。(中略)
太陽は東方から昇り、まず最初に極東のこの列島に光を注ぐ。そしてサクラの芳香が朝の空気をいきいきとさせる。このとき、このうるわしい息吹きを胸一杯に吸うことほど、気分を清澄、爽快にするものはないであろう。


新渡戸は、日本の武士道を世界に紹介するために、英文でこの本を書きました。その中で、「武士道」という日本人の精神を、さくらにたとえている。とりわけ、さくらのぱっと咲いて、ぱっと散るさまに、日本人の高潔さ・いさぎよさという美徳を見出しているのです(傍線部を説明する)。

このさくらのイメージは、日本人の美徳を示すものとして、日本人(とくに軍人)のあるべき姿として、とらえられるようになりました。「同期の桜」をはじめ、軍歌などにも盛んにさくらがうたわれています。兵隊さんたちは、散りゆくさくらに自分を重ね合わせていたのです。

【資料3】
①いざさらば 我は御国の 山桜
 母の御元に かえり咲かなむ  (海軍中尉、緒方襄)
②散る花の いさぎよきをば めでつつも
 母のこころは かなしかりけり
③蕾にて 散るも又よし 桜木の
 根のたゆことの なきを思へは  (海軍少尉、滝沢光雄)


①を詠んだ緒方中尉は、関西大学在学中に学徒出陣し、パイロットになり、志願して神風特別攻撃隊の桜花隊に入いりました。この歌で息子の思いを知った母、三和代さんは②の歌を詠みました。中尉の歌は、祖国日本のために命を捧げる高潔さ・いさぎよさが、散りゆくさくらに託されています。

③を詠んだ滝沢少尉(当時は一飛曹)は、甲種飛行予科練習生に志願し、昭和19年、第一神風特別攻撃隊山桜隊の隊員としてレイテ湾にて戦死を遂げました。 蕾のままでもよいと歌った滝沢少尉は、当時何歳だったと思いますか。実は、みなさんとほぼ同じ18歳だったということです。


5.日本人にとって桜とは?〈まとめ〉
今日は、わたしたち日本人のさくらへの想いを考えてきました。やはり、わたしたちにとって花とは、菊でも、チューリップでも、バラでもなく、さくらなのだなという実感が湧いてきませんか。


歴史的に見ていくと、日本人は、その時代の心情を、さくらに託してきたということです。
「さくらの散りゆくさま」は、「もののあはれ」という日本人の独特の情緒をあらわし、やがて日本人の心となって、とくに高潔さ・いさぎよさを表現してきたことがわかります。

まさに、さくらは私たち日本人を代表する、日本を象徴する花と言えるでしょう。そして、日本人がうけついできた桜のイメージは現代のヒット曲のなかにも通じるものがあるのではないでしょうか。


☆生徒のおもな感想
○桜はぼくの大好きな花です。日本人にふさわしい花だと思います。派手すぎず、そして早いうちに散ってしまう、いさぎよさがぴったりです。小学校のときに桜の詩を書いて先生にすごくほめられたことが今でも心に残るさくらの思い出です。

○桜の季節になると、なぜ天気予報とか、みんなで取りつかれたように騒ぐのだろうと思っていたけれど、今日の授業で、さくらと日本人の深いかかわりを知ることができた。

○わたしは、満開のさくら道を歩くのが好きです。それから、外国の人はさくらをあまり好きでないというのを聞いたことがあります。でも日本人ならではの、その良さを共感しえることは、うれしいことだと思いました。

○さくらはどの時代でも人々から愛されている花だなと思った。日本人は感受性が豊かなので、その時代、その歌を詠んだ人の心情を知ると、とても奥が深いものだなとおもった。

○散るさくらに対する日本人のイメージは今も昔も変わっていない部分があるのだなと思った。昔の和歌からいろいろ情景とか心情とかを考えられて勉強になった 。


☆参考文献
①牧野和春 『新桜の精神史』 中公叢書

②小川和佑 『桜の文学史』 文春新書 2004

③田中秀明 『桜信仰と日本人』 青春出版社 2003

④白幡洋三郎 『花見と桜』 PHP新書 2000

⑤藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005

⑥新渡戸稲造・奈良本辰也訳『武士道』 三笠書房 1993

⑦靖国神社編 『いざさらば我はみくにの山桜』 展転社 1994

⑧靖国神社編 『散華の心と鎮魂の誠』 展転社 1995


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