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飯島利一

Author:飯島利一
授業づくりJAPAN(日本の誇りと歴史を伝える授業づくりの会)は独立国日本の再建を志す教師の会です。誇りある日本人を育てる授業を実践し、全国の同志と支え合います。国を思い先人に感謝し卑怯をにくむ日本人、日本人の自由と真実を守るために戦うことのできる日本人を育てます。

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◎事故の報道と反響
この事件の報道について、多くの新聞や雑誌が国内のみならず、欧米各国でも大きく取り上げました。イギリスの新聞『グローブ』紙は、《この事件で分かることは、日本人は体力上勇敢であるばかりか道徳上、精神上にもまた勇敢であることを証明している。今にも昔にもこのようなことは世界に例がない》と驚嘆しました。



また、各国の駐在武官は、詳細な報告を本国に伝えるとともに、海軍省を訪れて弔意を表明しました。これらは通常の外交儀礼をはるかに超えたものと言われます。驚くことに、イギリス海軍は、今でも毎年小浜市で行われる佐久間勉威徳顕彰祭に、英大使館付武官を派遣しスピーチをしています。



明治時代当時の文壇にも、大きく影響を与えました。女流歌人として知られる与謝野晶子は、佐久間を悼んだ短歌十二首を歌いました。「海に入り 帰りこぬ人十四人
今も悲しき もののふの道」。さらに夏目漱石は「文芸とヒロイック」という小文の中で次のように書いています。

以前にイギリスの潜水艇に同様の不幸があった時、艇員は争いあって、死を免れようとする一念から、一カ所にかたまって水明かりの洩れる窓の下に折り重なったまま死んでいたという。本能がいかに義務心より強いかを証明するに足るべき有力な出来事である。本能の権威のみを説こうとする自然派の小説家は、ここに格好の材料を見いだすことであろう。そして手腕ある作家によって、この一つの出来事から傑出した文学を作り上げることができるだろう。けれども、現実はこれだけで、その他は嘘であると主張する自然派の作家は、一方において佐久間艇長とその部下の死と、艇長の遺書を見る必要がある

夏目漱石がふれているイギリスの事故では、いずれも呼吸が苦しくなった乗員たちが争ったまま発見されたと言います。酸素を求めてハッチの下に折り重なって死んでいたのは、当然、人間の「本能」です。漱石は、そうした生物的な本能を否定しているのではありません。

問題は、本能がむき出しなるような痛ましい事故が起こるたびに、「それみたことか、これが人間なのだ」「人間というのは所詮こういうものなのだ」と主張する、自然派作家の風潮に異を唱えているのです。

死に直面すれば、どんな人間だって本能で行動する。この真実を覆い隠して、偽りの美談を仕立てるのは間違っている、英雄的な行動や崇高な行為などは、一皮むけば嘘で固めたでっち上げである、という考え方が、当時流行していた自然派作家の主張といえるでしょう。


 しかし、人間は本能のままの動物ではなく、心をもった人間としての行動がとれるのではないか。佐久間の行動を知り、触発された夏目漱石は、すべて人間の世界は「本能」が「義務心」よりも勝るのか、佐久間の様に絶望状態にあっても「義務心」が「本能」に打ち克つことがあるではないか。人間はそんなに醜い者ばかりではない、崇高な人間の美しさを否定するのは間違っている、と主張しているのです。




〈問題3〉


夏目漱石の言う「本能」と「義務心」について、あなたの考え・思ったことを書いて下さい。


(以下、○印は生徒の主な回答)

○本能は誰でも持っているものだし、こういう場合になったら、私も本能のまま動いてしまうかもしれないけれど、本能を抑え義務心で行動した佐久間さんはすごいなと思いました。義務心をしっかりもっている上司だと部下もみな義務心をもつことができ、最期まで自分の職をまっとうできたと思う。


○私は、本能は義務心に勝てないと思っていたけれど、本当にこんな人がいたことを誇りに思います。所詮人間は・・・という決めつけが、そういう考えを増大させているのかもしれないと思いました。


○日本人独特のものだと思う。太平洋戦争の特攻隊も、生きたいという本能を押し殺して一種の義務心によって行動している。つまり社会状況や教育によってどんなような人間も育てられるということかもしれない。


○佐久間のような「義務心」が、普通の人(自分を含めて)にも備わっているか、不安に思う。漱石が書いているようにどんな人間でも程度の差はあれ、人間すべてに備わっていると信じてもっと自分を高めて生きたいと思う 。


◆生徒の主な感想
○佐久間艇長のあり方に、胸が震えるほど感動しながらも、自分とはあまりにかけ離れた佐久間艇長に言葉を失いました。英雄たりえる人とは、自分の身を賭して誰かを守れる人なのだな、と思いましたが、自分には絶対できないことだと思いました。

○こんな立派な人なのに、何故日本で全然有名じゃないのかが不思議に思った。同じ日本人として誇りに思うし、それが外国の教科書に載っていてうれしいことだと思った。


○佐久間という偉大な人を知ることができて良かったです。同じ日本人が知らないのに、外国で「道徳上・精神上でも勇敢な日本人」として広く知られていることはとても嬉しいです。ドラマや映画で自分の命を犠牲にしても助けるというレスキュー隊の物語があって感動しています。


○すごく考えさせられたし、ずしりと重い授業だった。「本能」に打ち克つことはたやすいことではないが「義務心」で動かなければならないことがあることを、佐久間勉と同じ日本人として深く胸に刻んでおきたい。


○人の上に立つことのすばらしさを知った。これからの人間もそういう立場に立つ人は常に冷静で仲間を思いやる心がなくてはいけないのだなと思った。真のリーダーシップとは何か、姿勢を学んだ。


○とても興味深い話で面白かったです。この先の将来、社会にでて自分がどんな風に行動できるのかを考えさせられました。もっとこのような人たちを知りたい。


○おそらく戦後の日本では、軍人の美談を教えることがタブーとなってしまったのだと思うが、私は学校でしっかりと教えてもいいと思う。だから今日の授業は、「自分は日本人である」という自覚をもたせる良い授業だった。



◆おもな参考文献

・『佐久間艇長の遺書』TBSブリタニカ

・占部賢志『歴史の「いのち」』 モラロジー研究所
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◎乗組員たちの最期
(生徒の発言を内容別にいくつか板書し、次の資料を読む。問題1の答えとなる所に線を引くように指示する)

六号艇の近くにいて、訓練を監督していた歴山丸の担当者が、不安に駆られて事態を通報したのは、夕方になってからでした。この時点から大がかりな捜索、救援活動が始まりましたが、沈んだ場所を特定できず発見が遅れました。見つかったのは、翌日の十五時半頃でした。さらに、潜水艇の回収作業が困難をきわめ、ようやく引きあげに成功したのは、事故発生の二日後、十七日の午前十時四五分のことでした。



引き上げられた潜水艇の中へ、捜索を担当した吉川中佐らが、検分のために入りました。駆けつけてきた家族には、陸にあがった潜水艇に近づくことは許されず、ごく一部の関係者以外は立ち入り禁止となりました。潜水艇の事故は、これまで諸外国でも事例があり、いずれも内部は悲惨なありさまだったのです。アメリカとイギリスの事故の場合では、ハッチが開かれると、そこに脱出しようと乗組員が、出口に殺到して争った形跡がみられたそうです。乗組員は皆、空気を求め苦しみもがき、のどをかきむしった跡を残して、恐ろしい形相で息絶えていたということです。そのような姿を遺族に見せることはできないと、吉川中佐らは考えたのです。



意を決して吉川中佐はハッチを開けました。しかし、ハッチ周辺には誰の姿もありません。さらに艇内に足を踏み入れ、奥に入ったところ、吉川中佐ら関係者たちは思わず息をのみました。佐久間艇長は司令塔にいて厳然と指揮するまま、生きているような表情で息絶えていました。機関中尉は電動機の前に、舵手はハンドルを握ったまま目をつむり、その他の乗組員もそれぞれの持ち場を離れることなく死んでいたのです。最期に至るまで潜水艇の修復に全力を尽くしたまま死んでいった仲間の姿を見て、吉川中佐は胸に迫る想いをおさえることができず、泣き崩れてしまったといいます。



その夜、遺留品の整理に、佐久間の小浜中学の後輩、倉賀野明が手助けに現場にやってきました。倉賀野が遺留品係を補助しているときに、佐久間の手帖を見つけました。もしかしたら、最期の決心を書き残しているのではないかと思って、手帖を開きます。最初の方のページはみな白紙でした。無念に思って手当たり次第中間のページを開くと、そこに乱れた筆の遺書があらわれたのです。

(生徒に線を引いた所を発声させ、乗組員が最期に至るまで潜水艇の修復に全力を尽くしたこと、佐久間が「遺書」をのこしていたことを確認する)。 




〈問題2〉


遺書にはどんなことが書かれていたのでしょうか。




(以下、○印は生徒の主な回答)
○家族や仲間、今までお世話になった人への感謝の気持ち、別れの言葉や、家族へのメッセージ


○死なねばならないことを無念に思う


○事故の記録。事故の起こった経緯などを書いて、二度とこんなことが起こらないように残した。


○最期まで潜水艇の修復に尽力した乗組員を讃えてほしい。部下たちの努力した功績。


○ずっと憧れていた海軍になれて幸せだった。未練はない本望だ。誇りに思う。最期の決意。


○国がつくった潜水艇を自分たちが沈没させて申し訳ない。部下に申し訳ない。死んでいく部下の遺族への謝罪。


○海軍の未来を託す。自分は死んでしまうが、後のことを任す。自分たちの死を無駄にするな。



◎遺書を読む
それでは、佐久間大尉の遺書にどのようなことが書かれていたのか、確認してみましょう。次の写真は、その遺書の書き出し部分にあたります。

67d.png

 ① 佐久間艇長遺言 小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス、誠ニ申シ訳無シ。サレド艇員一同死ニ至ルマデ皆ヨクソノ職ヲ守リ沈着ニコトヲ処セリ。我等ハ国家ノタメ職ニ斃レシト雖モ唯々遺憾トスル所ハ天下ノ士ハコレヲ誤リ以テ将来潜水艇ノ発展に打撃を与フルニ至ラザルヤヲ憂フルニアリ。希クバ諸君マスマス勉励以テコノ誤解ナク将来潜水艇ノ発展研究ニ全力ヲ尽クサレンコトヲ。サスレバ我レ等一モ遺憾トスルトコロナシ。

② 沈没ノ原因 瓦素林潜航ノ際過度深入セシタメ「スルイスバルブ」ヲシメントセシモ途中「チェン」キレ依テ手ニテ之レヲシメタルモ後レ後部ニ満水セリ。約二十五度ノ傾斜ニテ沈降セリ。
沈据後ノ状況
一、傾斜約仰角十三度位
一、配電盤ツカリタルタメ電灯消エ、電纜燃エ悪瓦斯ヲ発生呼吸ニ困難ヲ感ゼリ。十五日午前十時沈没ス。コノ悪瓦斯ノ下ニ手動ポンプニテ排水ニ力ム。
一、沈下ト共ニ「メンタンク」ヲ排水セリ、灯消エゲージ見エザレドモ「メンタンク」ハ排水シ終ワレルモノト認ム。電流ハ全ク使用スル能ワズ、電液ハ溢ルモ少々、海水ハ入ラズ「クロリン」ガス発生セズ唯々頼ム所ハ手動ポンプアルノミ。(后十一時四十五分司令塔ノ明リニテ記ス) 溢入ノ水ニ浸サレ乗員大部謂フ。寒冷ヲ感ズ。余ハ常ニ潜水艇員ハ沈置細心ノ注意ヲ要スルト共ニ大胆ニ行動セザレバソノ発展ヲ望ム可カラズ、細心ノ余リ萎縮セザランコトヲ戒メタリ。世ノ人ハコノ失敗ヲ以テ或イハ嘲笑スルモノアラン。サレド我レハ前言ノ誤リナキヲ確信ス。
一、司令塔ノ深度計ハ五十二ヲ示シ排水ニ勉メドモ十二時迄ハ底止シテ動カズ、コノ辺深度ハ十尋位ナレバ正シキモノナラン。
一、潜水艇員士卒ハ抜群中ノ抜群者ヨリ採用スルヲ要ス、カカルトキニ困ル故。幸ヒに本艇員ハ皆ヨク其職ヲ尽セリ、満足ニ思フ。

③ 我レハ常ニ家ヲ出ヅレバ死ヲ期ス。サレバ遺言状ハ既ニ「カラサキ」引出ノ中ニアリ(之レ但私事ニ関スルコト、イフ必要ナシ、田口、浅見兄ヨ之レヲ愚父ニ致サレヨ)

④ 公遺言 謹ンデ
陛下ニ白ス 我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノナカラシメ給ハラワンコトヲ、我ガ念頭ニ懸ルモノ之アルノ。左ノ諸君ニ宜敷(順序不順) 斉藤大臣 島村中将 藤井中将 名和少将 山下少将 成田少将 (気圧高マリ鼓膜ヲ破ラルル如キ感アリ) 小栗大佐 井出大佐 松村中佐(純一) 松村大佐(竜)(小生ノ兄ナリ) 松村少佐(菊) 船越大佐 成田鋼太郎先生 生田小金次先生 十二時三十分呼吸非常ニクルシイ  瓦素林ヲブローアウトセシシ積モリナレドモ、ガソリンニヨウタ 中野大佐  十二時四十分ナリ、



 以上が遺書の全文です。内容は、①部下を死なせてしまった責任を自ら負い、部下が最後まで沈着に任務を尽くしたことに感謝している。さらに、この事故が将来、潜水艇の研究発展の妨げにならないことを願っている。②沈没の原因とその後の処置について。③私事に関する遺言状について。④最後に、明治天皇に対し部下の遺族の生活が困窮しないように懇願している、というものでした。

佐久間は死の直前に取り乱さないばかりか、この事故によって研究開発が遅れることすら心配して、後世のために遺書を記していたのです。

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