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飯島利一

Author:飯島利一
授業づくりJAPAN(日本の誇りと歴史を伝える授業づくりの会)は独立国日本の再建を志す教師の会です。誇りある日本人を育てる授業を実践し、全国の同志と支え合います。国を思い先人に感謝し卑怯をにくむ日本人、日本人の自由と真実を守るために戦うことのできる日本人を育てます。

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2015.06.04    編集

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◎ ある新聞記事から
 次の新聞記事は、ある事故に関するもので、平成11年11月23日付『朝日新聞』一面トップの記事です。みなさんは、これを読んで、どのような印象をもつでしょうか。
71a.png

 まず新聞の見出しに注目してください。
「東京・埼玉の80万戸で停電がおこった。埼玉の狭山で空自機が墜落して高圧線を切断したからである。これにより交通・ATMも乱れた。空自機の2乗員は死亡した」と、読みとることができます。見出しは、記事の概要を知るためには大変便利なものです。
 では、この記事の見出しが最も強調している点は、どこにあるでしょう。記事の並びや文字の大きさから、そのニュースが、どのように価値判断されているかが分かります。
 見出しの字が最も大きく、白抜きで目立つのは、「東京・埼玉80万戸停電」です。つまり、この記事は、事故によって東京都や埼玉県で80万戸が停電になった事態を、最も大きく報道しているということです。
 たしかに記事の詳細にも、「この停電のため、首都圏のJRや私鉄が一時止まり、約6万5千人に影響した。また、防衛庁長官が記者会見で陳謝し」、今回の事故について「乗員2人が死亡するとともに東京電力の高圧線を切断しました。このような事故が発生したことは誠に遺憾で、今なお一部の方々にご迷惑をかけています。心からお詫びします」とあります。
 このように記事を読むと、停電の原因となった空自機(航空自衛隊機)に対して、新聞の読み手はどのようなことを感じるでしょう。生徒には次のように問いかけます。

問:この記事から、墜落した空自機に対して、どんな印象をもちますか。

多くの生徒が、次のように答えました。
A 大事故を引き起こして、とても迷惑だ。
B 危険。あぶない。自分たちの上に落ちたら怖い。
生徒は素直ですから、新聞のねらい・意図のとおりに反応していると言えるでしょう。


◎ 事故はどのようにして起こったか
 大停電を引きおこした航空自衛隊機の事故は、どのような状態で起こったのでしょうか。その実態を探るために、まず事故機と管制塔の交信記録、また当日の目撃者証言から再現してみましょう。
 平成11年11月22日、13時2分。
 航空自衛隊パイロット、中川尋史二等空佐と門屋義廣三等空佐は、飛行訓練のため、T33練習機に搭乗し、航空自衛隊入間基地を飛び立ちました。2人とも、航空学生*出身で飛行時間5000時間を超えるベテランのパイロットでした(航空学生は、将来自衛隊のパイロット等を養成するコースで、第12飛行教育団で約2年間、基礎教育・飛行訓練を受ける。入隊時からパイロットをめざしているので、技量の優れたパイロットが多いと言われる)。
 この訓練は、「年間飛行」といって現場を離れたパイロットの技量維持が目的でした。そのため、内勤になった中川二佐が、前部のコックピットに乗って機長として操縦桿を握り、現役パイロットの門屋三佐が教官として後部席に乗りました。約40分の飛行予定は、高度な技量を要する訓練とは程遠いものでした。
71b.png

 13時38分、入間基地の管制塔に、2人の乗ったT33から無線連絡が入りました。
「マイナートラブル発生」
 そのとき、T33は入間基地まで北東39キロ、高度760メートルの位置を時速450キロで飛行中でした。
「マイナートラブル」。つまり、このとき、中川機長は軽いトラブルと認識していました。機体に異常な振動があり、オイルの臭いがすると伝えています。
 13時39分、さらに無線が入ります。
「コックピット・スモーク」
 操縦室に煙が充満したので、直線距離の最短コース(ストレートイン)でもどるとの連絡です。このとき、基地から約18キロの地点でした。
「大丈夫だろう。降りられる」
 中川機長は落ち着いた声でそう言うと、基地への帰路を確認しました。
 ところが、13時40分。
「エマージェンシー!(緊急事態)」
 T33が「緊急事態」を告げます。管制塔は、瞬時に緊張に包まれました。
 エンジントラブルは思ったよりもひどく、機体はどんどん降下していきます。当日、複数の地域住民が目撃したところによれば、「プスンプスンと変な音を立てながら、機体が急降下していった。エンジン音はしなかった」(現場から数百メートル北に住む男性)「飛んでいるときのエンジン音はしなかった」(近くに住む主婦)と、エンジンはすでに止まっていたと考えられます。
 2人はエンジン停止という状況下で、あらゆる手を尽くしますが、急激に高度が低下し、もはや基地への帰還は困難と判断したようです。
 13時42分14秒。
「ベールアウト!(緊急脱出)」
 中川機長から、緊急脱出が宣言されます。
 高度は360メートル、基地まであと4キロの距離でした。
 脱出するには、ある程度の高さが必要で、この機の場合、300メートルなければパラシュートが十分に開かないのです。
 しかし、その13秒後の13時42分27秒。
「ベールアウト!」。
 管制塔がふたたび同じ言葉を受信。中川機長たちは、まだ脱出していなかったのです。高度は300メートル、安全に脱出できるギリギリの高さでした。しかし、この受信を最後に、中川機長からの無線連絡は途絶えます。
 そして9秒後の13時42分36秒。
 2人の乗ったT33は、地上約60メートルの高圧送電線に接触、入間川の河川敷に墜落しました。これにより、東京・埼玉で80万世帯に停電が起こったのです。
 T33が送電線と接触する直前、近所の目撃者が乗員1人の脱出を見ていました。高度約70メートル。後席の門屋三佐でした。門屋三佐はパラシュートが完全に開かないまま墜落し、地面に叩きつけられ、亡くなりました。中川機長の脱出は、高圧線と接触したその瞬間だったようです。垂れ下がった送電線のほとんど真下に中川機長は放り出され亡くなっていました。


◎ 事故の真相を探る 2回のベールアウトの謎
 事故の概要を見てみると、ひとつの疑問が浮かびあがってきます。T33練習機に乗っていた2人の自衛官が、「ベールアウト」すなわち、緊急脱出したのは、高圧線に接触する直前と、接触した瞬間です。
 しかし、2人は墜落する22秒前の13時42分14秒、さらに9秒前の42分27秒と、2度にわたり「緊急脱出(ベールアウト)」を宣言しています。にもかかわらず、どうしてすぐ脱出しなかったのでしょうか。そのときに脱出していれば、パラシュートの開く十分な高度があり、2人が亡くなることはありませんでした。この22秒間に、はたして何があったのでしょうか。

T33の主な交信記録
13:38 「マイナートラブル発生」
13:39 「コックピットスモーク」
・ 「大丈夫だろう.降りられる」
・ 「ストレートインしたい」
・ (ストレートインで着陸よい)
13:40

・ 「エマージェンシー」
13:41 (エマージェンシーの種類は何か)
・ 「コックピットスモーク」
38秒 (ポジション確認?)
・ 「5マイル=9.3キロ」
13:42
14秒 「ベールアウト」

27秒 「ベールアウト」
36秒 入間川河川敷に墜落

「 」はT33、( ) は管制塔の交信を示す

 ここは生徒に注目させたいポイントです。次のように問いかけて、事故の真相に迫ります。

問:すぐに脱出しなかった原因(理由)について、考えられる状況を想定して推測してみましょう。

いろんな視点からの推測が成り立ちます。生徒は、おもに次のような可能性を指摘しました。
A 脱出装置が故障して作動しなかった。もしくはパラシュートが壊れていた可能性がある。
B コックピット・スモークとあるので、煙で周りが見えず視界がわるかったのではないか。あるいは、煙のため脱出のスイッチがすぐにわからなかったのかもしれない。
C ベテランだったとはいえ、死ぬかもしれないという不安と焦りで、気が動転してしまった。緊急対応になれていなかったではないか。
D 機体の高度が下がるのが予想以上に速く、油断していたのかもしれない。
最初のA.B.の意見は、航空機そのものに何らかの原因があったとする考え方です。またC.D.のようにパイロットの精神状態や心理に注目した意見も出ました。
 この真相をさぐるヒントとして、墜落直前のパイロットの視界を推測した航空写真を見てください。次の3枚の写真は、自衛隊関係者の資料や新聞報道をもとに推測して、グーグルアースというソフトでつくったものです。(A)ベールアウト1回目・(B)ベールアウト2回目・(C)墜落直前を示しています。2人のパイロットの視界を推測することで、すぐに脱出しなかった理由がわかるかもしれません。

71c.png

 少しずつ機体が降下して、地上が接近している様子が分かると思います。AからCまでを順に見ていくと、何か気づくことはありませんか。しだいに視界から消えていくものがあります。教室で生徒に尋ねたら、「あっ、わかった。住宅街だ」と声があがりました。これは、2人の行動を理解する鍵になるのです。
事故の翌年4月、空自の事故調査委員会が発表した調査結果があります。これによると、パイロットが一回目の「ベールアウト」を通報した13秒後にもう一回、同じ言葉を叫んでいたことについて、「いったん脱出しようとしたが、さらにもう少し頑張ろうとしたため」ということが分かりました。
 いったい、彼らは何を「頑張ろう」としたのでしょうか。
 実は、最初に「ベールアウト」を宣言したとき、2人の眼下には、狭山ニュータウンの住宅街が広がっていたのです。彼らは危険を承知しながらも、地域住民に被害が及ばぬよう、何とか機体をコントロールして、人のいない入間川の河川敷まで機体を運び、そこで墜落したということなのです。
 結局、2人は高度70mという墜落ぎりぎりのところまで踏ん張りました。高圧電線を切断して大規模な停電を発生させたとはいえ、民間の生命・財産に重大な被害を与えずに済んだのです。
 もし身の安全を考え、高度300メートルで脱出していれば、彼らの命は助かったでしょう。しかし、T33は住宅街に落ち、停電どころの騒ぎではなかったはずです。
 2人は己自身にせまりくる死の恐怖よりも、「国民の生命財産を守る、その使命のためには自らの命を懸けても職務を遂行する」という自衛官の宣誓を、身を以て実行したのです。


◎ 2人はどのようなパイロットだったのか
 亡くなった2人の自衛官、中川尋史さん(享年47)と、門屋義廣さん(享年48)。何故、このような決断と行動ができたのでしょうか。
 2人はどのような人だったのか、中川さんと航空学生入学時からの同期生で、門屋さんのこともよく知る現役航空自衛隊員の加藤氏(仮名)に話を聞きました。
 中川尋史さんは、長崎県佐世保の出身で、地元の高校を卒業後、昭和47年に航空学生(第28期)となりました。自衛隊のパイロットに憧れる若者は多く、航空学生になるのは、大変な難関でした。およそ70名(当時)の募集枠に対して、毎年約3000名以上の志願者があり、学生の内、3分の1くらいは浪人経験者でした。その多くの学生同様に、中川さんも戦闘機のパイロットに憧れる少年の1人だったのです。
 自衛官となった中川さんは、その後、指揮幕僚課程(CS)に合格。これは、航空自衛隊の将来を担っていく優秀な人材(幹部)を育成する部署で、ごく少数の隊員が厳しい試験で選ばれました。
 もちろんパイロットとしても非常に優秀で、優れた技量が要求される飛行教導隊のアグレッサ(戦闘機のパイロットを訓練するための仮想敵機役)の任務についたほどでした。
 門屋義廣さんは、愛媛県出身で、やはり航空学生(第25期)から叩き上げのパイロットでした。操縦者としての腕は抜群で、早くからF15戦闘機に搭乗し活躍していました。一般に戦闘機の場合、飛行2000時間を越えると、ベテランのパイロットとされていますが、門屋さんはそれを大幅に超える6492時間。生涯現役の操縦士の道を歩んだ門屋さんは、筋金入りのパイロットだったのです。いつも笑顔を絶やさない飄々とした性格で、門屋さんの怒ったところを誰も見たことがないほど優しい人だったといいます。

71d.png
「AIRワールド」8月号1998より
平成10年、福岡県第8航空団にいた中川さんの第6飛行隊が、戦技競技会で優勝。この時、中川さんは、「優勝できたとしたら、それは整備員のおかげ。彼らを撮ってやってほしい」と返して、整備員全員の撮影となったということです。

 中川さん、門屋さんも含め、自衛官は一つ一つの任務を遂行しながら、しだいに自分なりに問いかけ、そして体得し、芽生えてくる意識があるといいます。
 なかでも、もっとも重要な問いかけのひとつは、自分の乗っている飛行機が故障したら、どう行動すべきか、その時の覚悟についてです。これは航空自衛隊のパイロットであれば、誰もが考え、自ら悟っていくものだといいます。
 昭和49年、名古屋第3航空団ではF86F機が故障し、市街地に墜落する事故が起こってしまいました。パイロットは、緊急脱出することなく、亡くなりました。その事故が起こって間もなく、中川さんは名古屋に着任しています。ですから、この事故は、中川さんにとってまったく他人ごとではありませんでした。もし、自分がこの機に乗っていたら、どうしていたか、考えさせられたことでしょう。
 中川さんや門屋さんだけでなく、航空自衛隊パイロットは、こうした事故を自分のこととして受けとめ、たとえば死についても考え、パイロットとしての任務にあたるようになるのです。
 自衛隊が組織として、「事故の時は、こうしなさい」とあれこれ強制することはないそうです。しかし「地上に被害を与えて、自分が助かってしまうのは潔しとしない」という覚悟が、しだいに芽生え、自分の中で育まれていくのだそうです。
 加藤氏は、中川さん、門屋さんの最後の心境について、次のように語りました。
「あくまで推測だけれども、……ベールアウト自体、初めての経験だから、そのときの緊張は最高度だったと思う。ただ、ボイスレコーダーに記録された声を聞くと、とても落ち着いていますよ。……もうここまでやった。……これ以上は……、あとは天に任せるという心境だったのじゃないかと。
 だから、民間に被害を出さないように、かといって、高度的には(無事に脱出するのは)難しいとは判っていたけれど、自分自身も生きることに最大の努力を払っただろうと思います。
 このような行動は、日本人のDNAの中にあるではないかと思います。「武士道」というか……長い時間をかけて歴史の中でつくりあげた日本人のメンタリティー(精神性)、あるいは国民性と言ってもいいかもしれない。
 この事故については、よく「自己犠牲」と言われているけれども、私は、利他の精神(自分のことを顧みず、他の幸福を願う心・他の利益を優先する精神)だと思います。ただ自分を犠牲にすればいいというのではない。誰からも強制されず、人のために行動する。これは日本人が、ずっと歴史を通して人間関係の中で育んできたことです。だから、おそらく中川も、最後まで自分も生きようとしながら、ほんの一寸の差で生きられなかったんだなと思います。
 それから、これは何も中川だけでなく、多分、航空自衛隊のパイロットは、みな思っていることだと思う。あえて口に出しては言わないけれど。それから多分、皆さんも同じような状況におかれたら、自衛官でなくとも同じように行動するのではないかな……私はそう思います。
 日本の今の若者は…と云々されるけれど、そういう環境の中で過ごせば、自然にやっぱり考えることですよ。日本人の国民性といいますか、それなりに行動はできると思っています」。
 加藤氏の語ったことについて、みなさんはどのようなことを感じたでしょうか。生徒たちには、氏のいう「日本の今の若者」として、この話をどう受けとめたのかを考えてもらうために、次のように発問しました。

問:「日本の今の若者」として、もしあなたがパイロットの立場だったら、どうしたと思いますか。

この問に対しては、すぐに書き出せなかった生徒が少なからずいました。自分だったどうするか、どうすべきか、悩んでいた様子です。以下が、生徒のおもな考えです。
A ふだんかっこいいことを言っていても、いざその事態に陥ったらすぐに脱出してしまうかもしれない。この2人の行動はすごい。尊敬します。
B たぶんパニックになって、落ち着いて何も考えられないと思う。
C 同じ立場になっていないので分かりませんが、きっとすごく怖かったと思います。そんな中で他人のことを考えられるのはすごいと思うし、自分にはできないことだと思いました。
D 死ぬのは怖いと思ってしまうかもしれないけど、私も多分2人と同じ行動をとると思う。住宅街に突っ込んでまで自分が生きていても、その後の人生、後悔しつづけると思う。
E 300Mのところで脱出すると思う。2人の行動はすごいけれど、その時にならないと判断できないが、今はやっぱり自分の命が大切だと思ってしまう。
 多くの生徒の考えは、A.B.C.に近い内容でした。しかし中には、D.のように「同じ行動」をとると答えた生徒もいます。また、「2人の行動はすごい」と感じつつ、最終的にE.のように考えた意見もありました。
 もちろん答えは一つではありません。それから、パイロットのようになるべきだとも言いません。いろんな考え方があってよいのです。自分の人生観や死生観のようなものが反映され、自身の考え方の根本が確認できるはずです。みなさんは、どのように考えるでしょうか。


◎ 事故から学ぶ大切なこと
 事故から6日後、新聞(『朝日新聞』平成11年11月26日付)の投書欄に狭山市の現場近くに住む主婦の一文が掲載されました。
「特攻で操縦経験のあった父から、自衛隊の飛行機は必ず河原に落ちてくれるから大丈夫と聞かされていました。今回はまさにその通りです。切れた送電線のすぐ近くで、小学生の娘は遊んでいました。中学校には息子がいました。でも、みんな無事でした。……亡くなった自衛隊員の方には感謝しています。……翌朝、橋の上から事故現場を見ていた1人のご老人が合掌されていました。私も同じ気持ちです」。
 平成11年11月25日、殉職された中川さんと門屋さんの葬送式が航空自衛隊の入間基地飛行場地区で行われました。遺族代表として、中川さんの弟さんが挨拶に立ちました。
 弟さんは、自衛隊関係者が「あと3秒早く脱出していたら助かっただろうが、そうすれば、民家に突入してしまっていただろう」と話すのを聞いて、声を詰まらせながら、次のように語りました。
「私には自慢できるものがありました。小さい頃から憧れたパイロットを兄にもつということです。兄の死に遭遇し、今後はもっと自慢できるようになった」。
 また、門屋さんのお兄さんは、「今回の事故では、故人の尊い犠牲よりも都会の停電が大きくとりざたされた。わが国の防衛に命を懸けてきた故人は何だったのか、やるせなさを感じた」と言いました。

 みなさんは、この事故について、何を考え、どのような気持ちになりましたか。最後に、まとめの質問をして、この話は終わりです。

問:最初に読んだ新聞記事と比較して、もし自分が記者だったら、どんな記事を書きま すか。あなたの伝えたいメッセージを記事にしてください。

 事故の真相を知った生徒は、すでに新聞の報道を鵜呑みにできないことに気づいています。とりわけ、亡くなった自衛官2人の決断と行動、さらに加藤氏の話から自衛官の職務に対して、つよいインパクトを感じたようです。生徒は、次のように考えました。
1 「勇敢な2人の航空自衛隊員、住民を救う! 自分の命か、住民の命か、2つの選択だった!」
2 「埼玉を助けたパイロット2人」これが一番重要だと思う。前の記事では2人がまるで悪役みたい。
3 「たくさんの命を救った尊い2つの命が失われた」この事に、私たちは感謝しなければならない。
4 「私たちは、2人の勇気ある人物に命を救われました」
5 「空自機の2乗員が自分の命をかえりみず、多くの住民を守った」 停電などの被害のことよりも、2人のパイロットについて記事を書きたい。
みなさんは、どのようなメッセージをつづるのでしょうか。


【生徒の感想】
 このお話は、高校1年生を対象とした授業をもとにしたものです。その生徒たちが書いたおもな感想を紹介します。
• 中川さんと門屋さんは、自衛官として当たり前のことだと思っていたかもしれないけれど、僕はとても2人のことを尊敬する。自分には絶対できないし、たぶん想像することもできないでしょう。2人は本当に立派だと思います。また門屋さんのお兄さんが言ったことはとても深い言葉だと思った。僕もあの新聞記事は、2人の気持ちをどう考えていたのか不思議に思った。

• 人のことをこんなにもよく思える人が死んでしまったのは、もったいないと思った。この授業で生死について考えさせられた。中川さんや門屋さんの死よりも大都市の停電を取り上げてしまうマスコミや、防衛庁長官が言った「誠に遺憾」という言葉は、こういう人の死の状況をよく知ってから言ってほしかった。2人ともよい人です。こんな人になれるように頑張りたい。

• 最初は迷惑だなと思ったけど、資料を読んでいくうちに、2人の人物像が見えてきて、2人はなんてすごい人なんだと思った。自衛隊が誇りに思っていることが、日本の「武士道」なら、とてもかっこいいと思った。

• 私は狭山市に住んでいて入間川の河川敷で昔よく遊んだりしていました。初めは迷惑だなと思っていましたが、いろいろな資料を読んでいるうちに、入間川の近くに祖父母が住んでいるので、もしかしたら死んでしまっていたかもしれないと思うと、停電程度で済んだことを感謝したい気持ちになりました。家に帰ったら、事故のことを母や父に詳しく教えてもらいたいとおもいます。

• 日本っていい国だと思った。たしかに殺人事件なども絶えないけれど、いい人もいっぱいいるのだなと思った。日本の武士道などの文化は長い日本の歴史があるからこそ成り立っているのだなと思う。

• やっぱり日本人には「武士道」があり、この事故はそれを体現するようなものなのだと思います。現代人みんながこういう場面で、この2人みたいな行動が取れるなら、くだらない殺人や、いじめなども無くなるのだろうと思いました。こいうことに深く考えることも、とても重要なことだと思いました。

• 最期まで自分の生き方を曲げなかった2人の自衛官に感動した。自分のことを考えるだけではこんなことはできないとおもう。自分のことより、自分のすべきこと・自分のできることを考えていたのだと思う。2人の勇姿に、僕も合掌したい。

• 昔おきた事故をピックアップしてこのような授業をすることに、とても関心がわいた。新聞記事では書いていない本当のことを知ることはとても大切で、その人の立場になってものごとを見ることがもっと大切だとおもった。自分を犠牲にしてまでも、本当に人々のことを大切に思っている行動に感動した。

• このような人々が日本にいるのだということに対して、誇りをもたなければならないと思った。普通に生活している人は、このニュースを聞いて「停電になったんだ」で終わりだが、ここまで内面的に考えることができてよかった。メディアの簡単な説明で、事故の真実が伝わらないのは何とかしなきゃいけないと思った。

• 最初記事を読んだとき、正直「自衛隊が事故を起こすなんて迷惑だな」と思った。けど、その裏には2人の乗員が「利他の精神」をもって頑張ってくれたからこそ、被害が最小限になったという背景があって、同じ日本国民として、2人の行動を誇りに思う。

• とても考えさせられた授業だった。個人的には死を美化することが大嫌いなのだが、今日に限っては微妙な気持ちになった。その死を「美しい」とは思わないが、「正しい」と、そんな風に思った。
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2015.06.04    編集

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